2006年06月22日

詩、其の弐

雨ニモ負ケテ
風ニモ負ケテ
夏ノ暑サニモ負ケテ
東ニ病気ノ人ガイテモ西ニ困ッテイル人ガイテモ
ナニモシナイ

丈夫ナ身体ニナリタクテ
健康食品ニ気ヲクバリ
ウマイモノガスキデ
マズイモノガキライ
オカネモホシイ
着物モホシイ
ソンナ私ガ仰向ケニ寝テイル

星野富弘



posted by にゃも at 02:45| 群馬 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 思うコト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月21日

たとえ短いいのちでも

昨日、読んだ本に載っていた詩です。
生まれながらに難病を抱え、20歳までしか生きられないと知ったひとりの少年が14歳のときに書いたものだそうです。

たとえ短いいのちでも
生きる意味があるとすればそれはなんだろう
働けぬ体で一生過ごす人生にも
生きる価値があるとすればそれはなんだろう
もし人間の生きる価値が社会に役立つことで決まるなら
ぼくたちは生きる価値も権利もない
しかしどんな人間にも差別なく生きる資格があるのなら
それは何によるのだろうか

…何によるのでしょうか…。
生きているという、事、それ自体のような気もします…。

何度も、何度も死にたいと思って、それでも生きている、生かされている、そのこと自体が拷問…いえ、奇跡みたいに感じています…。
自分自身の心で生きるって、重くて、苦しいです。
世間の価値観で生きてる方が無責任で済むので、心なんざ、捨てたままにしておいた方が楽だったかもしれません。
でも、心で生きることを取り戻してしまったら………。
気持ちいいんです、自己責任って…f^^;
とても大変だけど、もう、後戻りはしたくないわ〜(*^^*)
posted by にゃも at 00:41| 群馬 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 思うコト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月20日

重要!!だー!!

『期待されない事』ということが、私にはとても<重要>らしい。

他人の目が気になって気になって、どうしても知らないうちに<良い子>を演じていた。
大人と呼ばれる年齢になってからは、<できる人>を演じてしまうらしい。実は大してできないのに。

現在は例えば、予定を入れてしまうと、何日か前から落ち着かない。
前日は不眠。
当日はお出かけ前に1発作〜、或いは帰宅してから1発作〜…である。

期待を感じてしまうのである。
たとえ、他人が期待しなくても、だ。
自分で勝手に<期待されている>と思い込む。
コレが、なかなかやっかいである。
ついでに、相手に迷惑をかけまいと思うのが強すぎる余り、脅迫的に時間に間に合うように考えすぎて眠れず、朝方になってウトウトし、結局は時間に行けないどころか、予定そのものがおじゃんになる。
要は自分の問題だと、解ってはいるけれど、違う考え方を他人から聞いても、実践できない辺りに困難があったりする。

期待されていないと解ると、或いは、予定がないとなると、
私は途端に動きがよくなる。
私はえらそうに見えるかもだけど、本当は『できない人、使えない人』なんですよー、期待しないでね〜f^^;
posted by にゃも at 19:35| 群馬 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 思うコト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月08日

のた〜くた〜

私は、医師との合意の上で、その日の気持ちの高揚状態から、寝る前に飲む薬の量を、毎日自分で調節しています。昨日は1錠の半分の量を飲もうとしました。

ところが間違えました、飲む量を…!!(゜□)!!
半分に割った錠剤が真っ二つではなく、一寸の差で大と小が出来てしまいました。少ない方を飲むつもりが、多い方を飲んでしまいましたとさ(><)

起きる時、意識がモウロウとしてるのですよ…。体も重力に逆らえず、クタリ。でも、トイレには行きたい…。
相方がやっとこさ、起こしてくれても、へたっ。べたっ。
ベッドからずるずると転がり落ちて、もう、力が全く入らない体を自分的には目一杯動かして、たかだか何歩かの距離を時々、「グー」と眠りつつ、トイレ方向にのた〜…くた〜…と移動…。

お勝手と廊下の境目に1センチ位の高さのしきりがあるのですが…こ…越えられん…。顔すら床から持ち上げられないので、ほっぺたがしきりにぶつかって痛い………。肩がぶつかって前に進めない…。

まだ39歳なのに、トイレ介護が必要となりましたとさ(^。^;)
だって、便器に座れないんですもの…。
足が全く立たないし、持ち上げてもらって座らせてもらっても、体がヘニョ〜っと曲がって便器からズルッと落ちてしまうんですもの…。
支えてもらって、やっと排尿です(TへT)

間違えた薬の量は1,5ミリ程度。
でも、脳が覚醒している時は4錠飲んでも全く効きません。
厄介な体(脳?)でつ…(><)は〜〜〜………
posted by にゃも at 00:30| 群馬 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 思うコト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月30日

乖離の発作が起きた…

今朝方まで眠れず、少しの睡眠中に、どうやら記憶を遡っていたらしい。
目覚めたら、全身が痛かった。痛みをたどって往くと、幼児期の私が出てきた。まだ、幼稚園に入園する前。家が田舎町に1件しかないパーマ屋だったため、とても忙しく、私は生後7ヶ月から人に預けられていた。毎朝、食事が終わると私を預かるおばさんがやってくる。猛烈にイヤイヤを繰り返し、嫌がる私の手を無理やり引っ張ってずるずると引きずって行くおばさん。その時に引っ張られた腕と、肩の肉がちぎれるような痛み。両足を突っ張って抵抗するコトから生まれてくる、ふくらはぎと腿の筋肉疲労。

思い出と共に、当時の感情が出てきてしまう。

そもそも、預けるように言ったのはおじいさんだ。
おじいさんが創立して繁盛したパーマ屋だった。
私の母は入り嫁の立場で、発言権はゼロ。
母を店でも家でもこき使うために、私がいるのは邪魔だったというわけ。

もう死んだ祖父に対する、当時の強烈な怒り。
しかしその祖父も又、昔の田舎で母一人子一人という環境だったため、世間から だいぶ苛められて育ったのだ。
世間を見返してやるという祖父の怒りは商売の原動力でもあった。

そうは思えど、こちらはまだ、自分の怒りを外に吐き出す段階らしい。
気が済むまで怒り狂ったら、いつかは祖父を許せるだろう。

ひとしきり泣いて怒ったら脱力して、すっかり疲れてしまった。
相方が素うどんを買ってきてくれる。
幼児に戻っている時は、当時の痛みが出ることからも解るように、体もその頃に戻っているらしく、今は平気な辛いものや、匂いものといった食べ物を受け付けない。しかも、今はなるべく食べたくない、豚肉の脂身なんかを食べてしまう…f^^;

今日はもう、実は店番をしている時間帯。取り急ぎ、この記録だけカキコって、店に行くこととしよう。

コメント下さってる皆様、後で楽しみに読ませていただくので、レスはちょっと待っててネ(^。<)v
posted by にゃも at 13:59| 群馬 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 思うコト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

心の観察

喜怒哀楽の、喜と楽しかない人に出くわすと、猛烈に腹が立ってくる。怒りの感情は2次的なものなので、その怒りを見つめていると、やがてその裏に悲しみが潜んでいる事に気付く。深い、深い、哀しみ…。
それは、かつて喜と楽しかない母に、自分が辛い事を解って貰えなかった哀しみ。38度の熱が出ても、「大丈夫、学校に行きなさい」と言われ、保健室に行くと「家に帰りなさい」と言われ、どこにも帰る場所がなかった哀しみ。膀胱炎になっても「気のせい」と言われ、適切な処置をされなくて、悪化して常に熱のある体をひきずっていた、学校の人と一緒にいても、おしっこが漏れてしまい、バレてハブされたらどうしよう…?という恐怖。言っても解ってもらえないし、クリーニングに制服を出すお金も貰えなかったので、親にバレないように、お風呂に入る時、コソコソと制服を洗い、翌日乾ききっていない制服を着て通学しなければならなかった哀しみ…。
そんな哀しみを見ていると、やがて一つのある事に気付く。
それは、そういう母も又、相当な苦労をしていて、ソレを苦労と感じ取ってしまったら、生きるのが困難になる為、感じない様に封印しているのだ、ということ。
それほど、大変な人生を歩んできた母を責めることはできない。
彼女は彼女の生き方でいいこと。
自分とは違う人間なのだということ。
雨戸を閉め切って、光の射さない真っ暗な屋根裏部屋に、一筋の光が差し込む、束の間の、瞬間。
posted by にゃも at 03:00| 群馬 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 思うコト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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