2012年01月13日

悪い見本

昔体育の授業で、運動音痴だった私は体育教師に
「にゃもさん、出てきて、やってみて。」
と名指しで言われ、学年全員の前でバスケのドリブルをさせられた後、
「はい、今のが悪い見本ね。まねしないようにね。」
って、言われた事がある。

すごくショックでひどい教師だなって思った。
今でも覚えてるから、相当根に持ってるんだろう、私は(^^;)
だからって、何かするとかじゃないけど。
思い出すたびに「ひどい教師だったな」って思うくらい。
まあ、教師もヒトだからしょうがないね、って今は思うけど、でもひどかったなー。


大人になって、師匠に出会った頃のこと。
初めて彼が、我が家を訪れた時、まだそんなによく知り合っていなかったのに、彼はいきなり我が家の居間で、ゴロンと横になって
私と、友達の話を聞いた。

その態度にとても驚いた。
フツー、しないよね?
余りよく知らない人の家にはじめて来て、横になるなんて(笑)

それからあちこちで会うようになった師匠は、どこでもゴロンしていた。

後で、師匠は折に触れて
「今の時代ってさぁ。立派な大人ばっか見て育つじゃん。
そういうの、よくないよね〜。」
と言っていた。


彼の言うことは、とても良く解る。
立派な大人やデキのいい兄弟や親戚の中で育つと、自分もそうならなきゃ、って思って、どんどん脅迫的になるのだ。
でも、人には能力とか限界とかあって、疲弊するのでそれが毒となって自他を苦しめる。
完ぺき主義はツライ。
神様になれるワケないのに、神様を目指してるんだもん(^^;)

で、そこで必要なのが、「悪い見本」である大人。

私、師匠のそういうのが理解できて肩の荷が下りて、以来、すっかり悪い見本になった(笑)

「ビョーキ系」「脱力系」が、7年くらい前の私の系統だった。

最初は、子どもに対してとか、身近かな不登校やヒッキーの若者に「それでいいんじゃない?」「こんなもんでしょ。」という感じでダラダラしてた。

急いだり焦ったりしないで、今日しなければならないことが出来なくても
「明日でいいや〜」と思えるようになるという訓練をした日々でもあった。
どんどん力が抜けていった。

今回、手芸部で靴下を編んでみて
「え、そんなもんでいいんですか!?」と言うセリフを2回聞いた。
それは、「そんなに適当にやっていいのか?」という事だ。
そもそも、なんでちゃんとやらんとイカンのか?
誰がそんなの決めたんだ?
ちゃんとできるに越した事はないけど、もしそれが「苦手意識を生んでいる」としたら?
「私には出来ない」って、「難しすぎる」って思い込ませているとしたら?

これでは萎縮してしまって、リラックスしていれば何でもない事を、返ってややこしくしてるなぁ、と、編み物以外でもいろいろを見回して常づね思っている。

もし完璧を目指す事によりプレッシャーが生じ、結果として惨敗するなら、最初から完璧を目指さないほうがいいと思うのだ。
そのほうが出る結果が完璧に近づくなら、そのほうが完成度が高いんじゃなかろうか?

「良い見本」に私はなれないけど、「ユルい見本」にならなれる。
自分のありのままでいいんだもん(^^)♪

自分が適当でいる事で、居心地の良い空間を提供する。
他の人の緊張もほどいていく。
ガードを必要以上に張らないで済む空間を作って、そこに生息する。
生息する場所を選んだり作ったりする。
そういうのが好きな人が集まって、また、残っていく。
居心地の良い人脈を広げる。

こんな事もまた、病気のカンカイ状態を長引かせていく特効薬なのかもしれない。

「悪い見本」のまんまで行こう。
それしかできないもん。
それでいいじゃないの。
をれを見てどう判断するかは、相手にお任せだ^^☆


posted by にゃも at 11:16| 群馬 ☔| Comment(2) | 思うコト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
Posted by 履歴書の見本 at 2012年01月29日 18:45
履歴書の見本さん>

はじめまして^^
何かのお役にでも立てば幸いです。
またよろしくね^^
Posted by にゃも at 2012年01月30日 22:28
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