2010年04月15日

自分に丸をつける

自分に丸をつける、みなさん、できていますか?

今回は、何かをするに当って、私が常日ごろ思っている事を書きたいと思います。

思い返せば日本の社会は
「這えば立て、立てば歩けの親心」
の言葉に代表されるとおり、
「今現在その子ができる事よりも、もっと多くの事ができるように」
という風潮があるように感じます。

保育園や幼稚園の頃からいろいろな事を習います。
就学すればそれはもっともっと沢山の事を習っていきます。
子どもは可能性があるから、それでいいかもしれない。

けれど、いわゆる学校で習う「お勉強」ができる子のほうが良いとされる社会に私は疑問を感じています。
それは、中学生くらいから感じ始めた疑問です。
「お勉強」以外にも人の能力はそれぞれなのに、どうも勉強できる子ばかりがいいとされるのは何かヘンだ、と。

中学生の頃、私には家庭教師がいました。
親戚のお兄さんでしたが、どうやらそのお兄さんは勉強が「好き」なんですね。
人間、好きな事は面白いのでどんどんするし、すればするほどできるようになるのは当たり前です。

私はいわゆる学校で教わる勉強には全く興味が湧きませんでしたから、
中学、高校とそれはそれは大変な思いをしました。
進学校に行かされてしまったので能力別にクラス分けされた状態での授業でした。
各科目ごとに、その時間になると生徒は自分の能力に合ったクラスへと移動したのですが、
いつも最低のクラスにいた私はとても惨めでした。
それに、そもそも興味が湧かない上にこんな風に「できない」レッテルを貼られるので
余計にヤル気が起きなかったのもまた事実でした。
だから、できない子はどんどんヤル気を失くし、最低のクラスを教える先生も全くヤル気のない先生たちで、英語などは1年間かけて終わったセンテンスが3項目だけ、という非道い有様でした。

しかし私は絵が描けたり、音楽や宗教の科目が得意だったりしました。
でも、進学校だったので絵や音楽の授業は能力別ではなく。。。。。。
自分の得意分野はあるのに、それは出来ても出来なくてもいい事、という分類の授業だった為に
自己評価はとても低いものでした。

人の能力を育てる筈の教育現場が、こんな事でいいのでしょうか?

どうも日本社会は
「その人の持てる能力」よりも、さらに上の事を要求する社会のような気がします。

例えば、障害者の支援現場でマッチ箱にマッチを詰めるのが3個できる人がいるとする。
そうすると、「次は4個できるようになりましょうね。」とやられる。
これでは、その人にしてみたら3個までは出来るのに4個はできない、
そして課題として与えられた4個ができない自分に×(ばつ)を付けてしまいます。
そして、出来ない自分を「ダメな自分」として評価してしまう。

そうではなくて、3個できるのならそれでよしとすればいいと思うのです。
そうすれば、その人は3個できた自分に○(丸)をつける事ができます。
自己評価はこうして上がると思うのです。

できない事をダメとするのではなく、できる事を○とする。

この事を繰り返していけば、自己評価は自然に上がります。
自己評価が上がると良い循環が生まれ、気持ちに余裕も出るので4個できる日があるかもしれません。
これはほんの例ですが、こういう事をしていけばみんなもっとゆっくり、その人の状態にあったやり方で気持ちに余裕をもっていろいろな事が楽にできると思うのです。

気持ちに余裕のある人が増えれば、この社会はもっともっと暮らしやすくなるでしょう。

戦後日本は経済成長をしましたが、その裏には現在の社会全体の病理ともいえる問題を含んでいたと思います。

経済を優先にすると、こんな風に苦しく、とても生き辛い社会になってしまいます。

ドイツなどは就労時間の制限があります。
地域によって違うらしいのですが、私が聞いた所では1日5時間しか働いてはいけなくて、週休2日でした。
それを超えると違反として罰金を取られるそうです。

私が行ったスコットランドのある地域もそうでした。

経済的に豊かではありません。
けれども、「暮らし」に必要な家賃やライフラインといった基本的な事が安く、暮らすには暮らしていけました。
食材の包装なども簡易的でしたから、包装にかかる費用も少ない為、消費者の負担が少ない上、ゴミがそんなに出ませんでした。
ゴミが出ないという事は、処理にかける費用も少ないという事です。

今、自分の暮らしは生ゴミは庭に埋めています。
だから、ゴミの日に出すのにゴミ袋が重くないので助かっています。
食べ残しても次の野菜の肥料になるかと思えばムダがありません。
安心して残せるので食べ過ぎて体に悪いという事もありませんし、
生ゴミを燃やすとしたら水分を含んでいる分、余計に燃料がかかる事も防げます。

生理用品は使い捨ては使いません。
洗って使うエコナプキンを使うので、矢張りゴミが出ません。
水に漬け置きしますが、この経血を含んだ水は赤ちゃんを育てるだけの栄養価の高い水ですから、
これまた庭に撒きます。
良い肥料になるという訳です。

「汚い」と感じる方がいるかもしれません。
けれど、考えてもみてください。
畑の肥料として使われる鶏糞や牛糞は汚くないのでしょうか?
江戸時代は人の排泄物は田畑の肥料として欠かせないため、とても高価に売れたそうです。
私が子どもの頃は農家さんのトイレはまだ外で、肥溜めという物があり、
発酵させた排泄物は貴重な肥料でした。
今でもこうした農法をしている人たちはいます。
大腸菌の問題は、ちゃんと発酵させれば解決します。

だから、生理の経血もまた然り。

我が家の庭兼畑は、こうして生ゴミと経血ONLYですが去年は
かぼちゃが22,3個、
とうもろこしが40本前後、
バジルは食べきれないくらい、
ローズマリーやミント、タイム、ルッコラ、セントジョーンズワート、しそ、ニラ、モロヘイヤ、
ナスにミニトマト、小松菜にブロッコリー………と、なかなかの収穫でした。

全くの無農薬でしたし、草むしりも殆どしませんでした。
虫さんや鳥さんに食べられもしましたが、彼らの残りをありがたく頂き、
翌年の種も収穫しました。

最初の話に戻りますと。。。
こんな風に、学校の勉強は全くできない私でしたが、今ではこうして色々な事ができる自分がいます。
それも、誰かから
「ああしなさい、こうしなさい」と言われた事ではありません。
言われた事ほど、できない天邪鬼な性格もあったと思います。

そして、周囲から期待された事ほど矢張りやっても出来なくて、自己評価がどんどん下がり、
一時は体が動かないまでになってしまいました。
怒られてばかりで育ったので人が不機嫌になるのが非常に怖く、
できない事を正直に「できません」と言う度にひどい怒られ方をした為に
たとえできなくてもできるフリをしなければならず、余計に問題がこんがらがったりして。
それはそれは大変でした。

こういう事を気づいている人は沢山いると思います。

気づいた人から始めればいいと思います。
相手のできる事を評価する、ということ。。。
自分自身のできる事を評価する、ということ。

今日、あなたは自分に○をつけてあげられましたか?


posted by にゃも at 21:07| 群馬 ☔| Comment(0) | 思うコト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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